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大阪高等裁判所 昭和58年(ネ)1605号 判決 1984年7月20日

昭和五八年(ネ)第一六〇五号事件控訴人

同年(ネ)第一六〇六号事件被控訴人

(第一審原告) 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 小松三郎

昭和五八年(ネ)第一六〇五号事件被控訴人

同年(ネ)第一六〇六号事件控訴人

(第一審被告) 社会福祉法人 上野丘さつき会

右代表者理事 上野智

右訴訟代理人弁護士 大塚明

同 神田靖司

主文

一  第一審被告の控訴に基づき、原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

二  第一審原告の請求(当審において拡張した請求を含む。)を棄却する。

三  第一審原告の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも、第一審原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  第一審原告

(昭和五八年(ネ)第一六〇五号事件につき)

1  原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し、金五五〇万円(内金五〇万円の請求は当審において拡張した請求である。)及び内金五〇〇万円に対する昭和五六年五月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、第一、二審とも、第一審被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

(同年(ネ)第一六〇六号事件につき)

第一審被告の控訴を棄却する。

二  第一審被告

(昭和五八年(ネ)第一六〇五号事件につき)

主文三項と同旨。

(同年(ネ)第一六〇六号事件につき)

主文一、二、四項と同旨。

第二当事者の主張及び証拠関係

当事者の主張及び証拠関係は、次のとおり削除、付加、訂正するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

一  第一審原告

1  原判決二枚目裏四行目の「被告に対し」を削る。

同三枚目表一〇行目の後に行を改めて、「(五) 被告の善管注意義務違反となる訴外高見の注意義務違反」との見出しのもとに、次のとおり加える。

「原告は、肢体不自由(左足をひきずる)で、一日に数回となくけいれん発作を起し、日常生活では、危険を避けることができないため、一人にしておけない者であるから、保母は、まず原告の特徴(けいれんを起して倒れてしまう者)をよくつかみ、転倒による負傷を避けるという心配りが必要である。そして、本件事故当時は、成人棟の工事中で、ブルドーザや資材などが散らばり、園内の土地の表面は、凸凹の状態で、普通人でさえ、足元をよく注意しなければ危ない状態で、原告は、このような状態のところを、足をひきずって、うさぎ小屋まで歩いてきた。被告の保母である訴外高見は、このような状態の原告を、シーソーやブランコがあって、原告が倒れたら負傷する危険の多い場所に立たせたままで、原告から離れた。従って、ここに訴外高見の具体的注意義務の違反がある。すなわち、訴外高見としては、このようなときは、善管注意義務を負う被告の保母として、自分のそばから離れないよう原告を連れてうさぎ小屋に向うか、又は原告を置いて離れるときは、原告をその場にしゃがませるべき注意義務があったというべきであり、訴外高見において右注意義務を尽くしておれば、本件事故の発生は防止できたのである。」

2  同三枚目裏四行目の「一〇〇」を「五〇」と、同六、七行目の「右損害の内、慰謝料のみに限定し、その内金として五〇〇万円及びこれ」を「右慰謝料の内金五〇〇万円と右弁護士費用五〇万円の合計金五五〇万円及びそのうち右五〇〇万円」とそれぞれ改める。

3  《証拠関係省略》

二  第一審被告

1  原判決四枚目表六行目の「4の」の後に「(一)ないし(四)の」を加える。

2  同枚目表六行目の後に行を改めて次のとおり加える。

「同(五)の事実は争う。以下の事実に鑑みれば、訴外高見に善管注意義務を負う被告の保母として原告主張のような注意義務はなく、従って、その違反もないというべきである。

(イ) 本件事故発生当時、園中が工事中であり、工事現場内は凸凹で足元は一部危険な状況であったであろう。しかし、原告らの歩いた遊歩道は、工事現場などではなく、工事中も従前と全く変らない安全な場所であり、本件事故発生場所も同様である(原告は同場所にはシーソーやブランコがあるため危険である旨主張するが、右主張は当らない。)。そして、訴外高見は、むしろ危険回避のためにこそ原告をその場に残したのであって、訴外高見には、自分のそばから離れないよう原告を連れてうさぎ小屋に向うべき注意義務はなかったというべきである。また、このような場所において原告の如きてんかんの発作を有する児童のそばから離れようとするとき、児童をその場にしゃがませることがてんかん発作に伴う危険防止に有効であるという経験則は存しない。殊に原告の場合、本件事故により破裂した左眼球は、すでに失明状況にあり、眼圧の異常な亢進によりほんのわずかの衝撃で破裂を免れない状況にあったから、訴外高見が原告をその場にしゃがませていたとしても、本件事故を回避できたかどうかは疑問である(訴外高見が右のようにしていたとしても、原告が、てんかん発作の結果、顔面を地面に打ちつけて本件の如き事故を起していたかも知れないのである。)。

(ロ) また、保母が原告の如きてんかんの発作を有する児童のそばから離れようとするときは、児童をその場にしゃがませなければならないという発想自体問題がある。ここにはてんかんに対するいわれなき差別と前時代的対応が残存していると評さざるをえない。このような発想は、危ないから遊ばせない、危ないから監禁するという発想と基本的には変るところがない。原告の主張するところに従えば、原告は、保母から常にすぐ脇に付添われ、かつ目をそらさず凝視され、そうでない場合(すなわち、普段は)、常にしゃがんでいることを要求されることになるが、このような生活がはたして人間の生活といえるかどうかは疑問である。そのため、今日、教育界、医療界においては、てんかんの発作を有する者に対し、安全確保の美名のもとに行動を制限するのではなく、できるだけの手当をしたうえで逆にできるだけ自由に行動させることを旨としているのである。

(ハ) なお、原告は、被告施設に入所する前は、両親の養育のもとにあったが、当時両親から本件事故当時被告が加えていた以上の保護措置を加えられていたということはなく、両親の外出時には、施錠された屋内に一人放置されることもあった。そして、原告の両親は、『本児の教育訓練を希望し』、『施設収容』のために相談所に来所し、いったんは『自宅での養育が最適と思われ』たにもかかわらず、父親の希望で『本児の教育訓練のための施設入所の申請』があり、その後『母及び本児来所』によって被告施設入所に至ったのである。このように、原告の両親も、ある程度危険は承知のうえで、なおかつ、それでも、本人の幸福のために原告の被告施設入所を希望したのである。そして、被告も、これに応じて、単に原告を管理し医学的生物学的に生存させることを目的とするのではなく、原告の人間たるにふさわしい生活を援助し保育していたのである。」

3  《証拠判断省略》

理由

一  請求原因1ないし3、4のうち(一)ないし(四)の事実に関する当裁判所の認定及び判断は、原判決のそれ(原判決五枚目裏二行目から同七枚目裏六行目まで)と同じである(但し、原判決五枚目裏六行目の「起立性」を「起立位」と改め、同七枚目裏六行目の「4の」の後に「(一)ないし(四)の」を加える。)から、これをここに引用する。

二  一審被告(以下単に「被告」という。)の善管注意義務違反の有無について

1  《証拠省略》によれば、本件事故発生の具体的経緯に関し、次の事実が認められる。

(一)  被告施設の敷地のうち、平担に整地された東側半分には、第一審原告(以下単に「原告」という。)ら収容児童の居住する児童収容棟などの建物とこれに続く広場があり、また、山の斜面であるその西側半分には、児童の戸外における教育訓練施設として、右広場の北側から緩急の傾斜をもって山の斜面に登りこれを北から南に向う遊歩道があり、右遊歩道のほぼ中間地点及び一番奥の地点にそれぞれ休憩や遊戯のための小広場があった。

(二)  本件事故当日、訴外高見(原判決の呼称による。以下同じ。)は、居残り勤務者として、夕刻ころ、前記遊歩道の一番奥にある小広場のうさぎ小屋で飼育されていたうさぎに餌をやりに行くことになった。原告は、従来何度も訴外高見に連れられてうさぎに餌をやりに行ったことがあり、当日も、他の二人の児童(七才と一一才)とともに、その時刻になるのを楽しみにして待っていた。そこで、訴外高見は、原告が当日は機嫌もよく元気であったため、他の二人の児童とともにうさぎの餌やりに連れて行くことにした。

(三)  訴外高見は、原告らとともに、前記児童収容棟を出発して、前記広場の北側から前記遊歩道に入り、これを通って、本件事故現場である前記うさぎ小屋の前まで歩いてきた(なお、訴外高見らは、その途中、前記遊歩道のほぼ中間地点にある小広場に立寄った。そして、その際、同所まで同行してきた原告以外の二人の児童は、同所で遊ぶことに熱中してしまったので、訴外高見は、右二人を同所に残し、その代りに、同所で遊んでいた別の二人の児童を、原告とともにうさぎの餌やりに連れて行くことにした。)。

(四)  うさぎの餌やりの手順としては、まず訴外高見が、水を入れて携行してきたバケツを持ってうさぎ小屋の中に入り、この水を同所に置いてある容器の中に移し換える作業があるが、右作業に前記障害のある原告を伴わせることは、原告の安全を確保するうえで、適当ではなかった。そこで、訴外高見は、うさぎ小屋から約五・四メートル手前の地点で、うさぎの餌としてキャベツの葉二枚を手に持ってきていた原告を残し(なお、このとき、原告がその直後にてんかんの発作を起して転倒するであろうことを予測しうる手がかりは何ら存しなかった。)、自らは右作業のため、うさぎ小屋の中へ入って行った。そして、訴外高見が右作業を終り、原告の方を振り返ったとき、ちょうど原告が前記地点からうさぎ小屋の方へ斜めに約二・六メートル移動した地点(うさぎ小屋から約三・二メートル、うさぎ小屋の前に置かれていたシーソーから約〇・九メートルの地点)においててんかんの発作を起して右シーソーの方へ倒れようとしているところであった。訴外高見は急いで原告の方に駆け寄ったが、間に合わず、本件事故が発生した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  ところで、原告は、「善管注意義務を負う被告の保母である訴外高見としては、自分のそばから離れないよう原告を連れてうさぎ小屋に向うか、又は原告を置いて離れるときは、安全確保のため原告をその場にしゃがませるべき注意義務があったというべきであり、訴外高見において右注意義務を尽しておれば、本件事故の発生は防止できた」旨主張する。

そして、前掲各証拠によれば、訴外高見が原告のそばから離れた場所は、平担に整地された広場の一部で、原告がてんかんの発作を起して転倒しても、地表のほかは頭部を打撲する危険のある物は付近に存しなかったことが認められるから、訴外高見が原告主張の右前段の行為に出ていた場合はもとより、同人が原告主張の右後段の行為に出ていた場合も、本件事故の発生を防止することができたと認めるのが相当である(この点、被告は、「訴外高見が原告主張の右後段の行為に出ていたとしても、原告が本件の如き事故を起していたかも知れない」旨主張し、当審証人山田東吾の証言によれば、原告の眼球はスターヂ・ウェーバー症候群による眼圧の亢進のため健常者のそれに比べ衝撃によりより破裂しやすい状態にあったことが認められる。しかし、右証言その他本件全証拠によるも、訴外高見が原告主張の右後段の行為に出ていたとしても、原告が本件の如き事故を起していたであろうとまでは認めることはできない。)。

3  しかしながら、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、遅くとも出生直後ころからスターヂ・ウェーバー症候群を罹患しており、被告施設に入所する前から、これに伴う症状として、月に二、三回程度のてんかんの発作(急に全身の力が抜けたようになってその場に転倒した後、硬直間代性けいれんを起すもの)と一日に四、五回程度の同小発作(頭痛や目まいを起し、あるいはじっと考え込んだようになってしまう程度で、転倒やけいれんを伴わないもの)を起していた。原告の右てんかんの発作は、疲労時、入浴後、興奮状態の後などに起りやすいという傾向はあったものの、これを具体的に予測することは困難であり、従って、事前にてんかんの発作による転倒等に備えて具体的な事故防止の措置をとっておくなどということは、不可能であった。

(二)  被告施設においては、定員三〇名の収容児童に対し、同施設設置基準上必要とされる八名の保母が配置されており、一日のうち、保母の普通勤務時間である午前八時三〇分から午後五時三〇分までの間は、各保母がそれぞれ自己の担当とされた三名ないし四名の児童に対しその日の教育訓練及び監護に当り、午後五時三〇分から児童の就寝時刻である午後八時三〇分までの間は、その日の居残り勤務の二人の保母が児童全員の監護に当るという教育等及び監護態勢になっている。

ところで、原告のようにてんかんの発作などの障害をもつ児童を完全に危険から守ろうとするならば、右児童一人に保母一人を配置したうえ、保母が一日中常時右児童のそばに付添い、保母がやむをえず一時的に右児童のそばから離れなければならない時は、万一起るかも知れないてんかんの発作による危険防止のため、右児童を近くの安全な場所に移したうえ、右児童をその場にしゃがませるなどの措置をとらなければならないことになる。しかし、右児童一人に保母一人を配置するなどということは、前記のような保母配置の状況にある被告にとり不可能なことであった。また、被告がとっている前記のような教育等及び監護の態勢のもとにおいて、保母が右児童のそばから離れようとするときは必ず前記措置をとらなければならないとすれば、右児童は、一日の相当の時間にわたり、一定の場所にしゃがんだりしていることを要求されることになるが、これでは、できるだけ自由に遊ばせるなどして右児童の自立能力を開発するという施設の教育訓練の目的を達成することができないばかりでなく、右児童から人間らしい生活を奪うことになり、不都合である。

以上のような次第で、被告施設においては、原告に対し、前記のようなてんかんの発作等の障害に鑑み、危険防止のため、保母が極力密着して付添うようにするなどの心配りがされたものの、原告一人に対し保母一人を配置するということはしなかったし、また、付添の保母が原告のそばから一時的に離れようとするときは、万一の危険防止のため、保母は原告を近くの安全な場所に移したうえ、原告をその場にしゃがませるなどしなければならないとするようなことを監護の方針として採用したことはなかった。なお、原告は、被告施設に入所中、時々てんかんの症状悪化のため、精神病院に入院していたが、同病院が原告に対してとっていた監護の態勢も右と大差のないものであった。

(三)  なお、原告の両親は、自ら原告を養育していた期間(原告の出生後、原告が被告施設に入所するまでの間)、原告のてんかんの発作などによる危険防止のため、原告を極力一人にしておかないように努力していたものの、右両親とて、一日中常時原告のそばに付添うことができたわけでもなく、また、一時的に原告のそばから離れようとする際は、常に原告に対し前記措置をとってきたわけでもない(場合によっては、原告を施錠した屋内に一人残したまま、両親とも外出するということもあった。)。

原告の両親は昭和四三年四月一日、神戸市児童相談所に対し、原告に教育訓練を受けさせたいとして、施設入所を申請した。そして、同相談所神経科医の意見に従い、その後しばらくの間、身辺自立訓練のため原告を家庭で養育した後、前記のとおり、原告を精神薄弱児施設である被告施設へ入所させた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  右認定の事実によれば、原告のようにてんかんの発作等の障害をもつ児童に対する被告施設の前記認定のような教育等及び監護の態勢は、少なくとも本件事故当時におけるわが国のこの種施設のそれとしては、相当なものとして社会一般に是認されていたのであり、原告の両親も、被告施設の右教育等及び監護の態勢を当然の前提として、原告を被告施設に入所させたと認めるが相当である。してみれば、前記認定の具体的状況のもとにおいて、訴外高見には、自分のそばから離れないように原告を連れてうさぎ小屋に向うべき注意義務も、また、原告のそばから離れようとした際原告に対しその場にしゃがませるなどの措置をとるべき注意義務もなかったというべきである。従って、訴外高見が原告主張のような行為に出なかったことをもって被告の原告に対する善管注意義務違反になるとする原告の主張は、理由がないといわなければならない。

三  以上の次第で、原告の請求(当審において拡張した請求を含む。)は、その余の点につき判断するまでもなく、失当として棄却すべきことが明らかである。

よって、原判決中原告の請求を棄却した部分(原告敗訴部分)は相当であって、原告の控訴は理由がないからこれを棄却し、また、原判決中原告の請求を認容した部分(被告敗訴部分)は不当であるから、被告の控訴に基づいて、同部分を取り消したうえ、原告の請求(当審において拡張した請求を含む。)を棄却し、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山忍 裁判官 河田貢 松尾政行)

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